豊臣秀吉といえば、まず知らない人はいないですよね。手の指が6本あったとか、木下藤吉郎という名前は創作だったのではとか、出自にまつわる前半生が不明であり、色々謎の残る人物です。
信長の草履を懐で温めて出世したなどさまざまな伝説がありますが、なかでも驚きのエピソードの一つに「刀で傷をつけて手相を変えた」というものがあります。
どういうことかというと、手相を「吉相」に変えて、出世を手にしたというんですね。後世に残る手形に明らかに不自然な線が入っているのでそのように推測されているようです。
画像を見ると、本当に不自然な線が残ってますね・・・。この縦に手のひらを貫く線は運命線といい、これが中指の根元まで伸びていると「天下筋」と呼ばれるまさに強運の線に。
本来はこれは指先まで延びることはないので、明らかに不自然です。
この運命線は、短い線が細切れにつながっている人もいますし、まったく見当たらない人もいます。
また、秀吉は手の平を左右に横切る斜めの一直線「ますかけ線」も現れており、それは運勢の浮き沈みが激しいけれど、掴んだ運は離さないといわれる縁起の良い相とのこと。
かの徳川家康も、残る手形から同じ「ますかけ相」だったと診断されています。
秀吉の手形は右手を写したものですが、手相は両方の吉凶をみるそうです。左手は先天的なこと、右手には後天的なことが現れます。本来備わっている運命は左手、現在の状況を知りたいときは右手、ということです。
秀吉がそこまで手相に精通していたかはわかりませんが、現在の運命を司る右手の相を変えたことは、非常に興味深いですね。
かの武田信玄も手相で敵味方を見極めることもしていたそうなので、秀吉が手相についてある程度知識を持ち合わせていたとしても不思議ではありません。もしくはただの願掛け、決意の現れとも受け取れるでしょう。
それとも、手形作成の時に入ってしまった皺でしょうか?
あなたはどちらだと思いますか?
(出典 news.nicovideo.jp)
豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏で、後に羽柴氏に改める。皇胤説があり、諸系図に源氏や平氏を称したように書 157キロバイト (25,164 語) - 2019年6月22日 (土) 14:01 |
それほど「手相が」人生にとって重要なのかも。
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